鳥羽パールレース1999
byチャーリー岸田

「Take-1」での鳥羽パールレースレポートです。

 
 1999年7月、第40回鳥羽パールレースが開催された。これは年に一度行われるヨットレースで、スタートは三重県鳥羽市、ミキモト真珠の[真珠島]沖をスタートし、遠州灘を通過し、駿河湾を横切り、伊豆半島を回り込んで、熱海沖の[初島]でフィニッシュ。伝統の外洋レースだ。

 スタート時刻は17日、土曜日の午前10時。風や波のコンディションが良くて、順調な走りができれば、翌日曜日(18日)の早朝未明にはフィニッシュできる。そのため、積み込んだ食料は2食分。土曜日の昼と夜の分だ。
 もし風が弱くて予定どおりにフィニッシュできなかったら?・・・腹が減っても我慢する。That's All.

 スタート後、各艇はレーティングどおりの順位で走り始めた。
 俺たちの前を走っているヨットは2艇。いずれも我々よりも上のレーティング。フィニッシュするまでこの先行2艇が我々の視界に入っていれば、俺たちの優勝は間違いない。
 俺たちは遠州灘沖を、最短コースを取ってひたすら東へと走り続けた。

 トップを走る[SummerBoy]が、進路を大きく南に取り始めた。彼らの作戦は、午後から吹いて来るはずの夏の南風をいち早く拾って、後続艇に差を付ける方針のようだ。
 ここで俺たちも意見が分かれた。先行艇と同じ進路を通って同じ風を受けていれば、彼らに大きく差を付けられる可能性は少ない。しかし現在の天候から予測すると、今日は南風が吹いて来る可能性は低い。
 結局俺たちは、自分たちの予測を信じることにした。おそらく南風は吹いて来ない。このまま最短距離を走るのがベストの方法だろう。
 やがて[SummerBoy]は南の水平線に消えた。

 そしてその日の夕方。遠州灘も終わりに近づく頃。[SummerBoy]は元のコースに戻って来た。どうやら南風は来なかったようだ。遠回りをした分だけ俺たちとの差は縮まっている。
 後続のヨットはとっくに見えなくなっている。このまま行けば、優勝の可能性は高い。

 やがて日曜の朝が明けた。もともと微風だった風がどんどん落ちて来る。
 それも西寄り(つまり後の方)から風が弱まって来た。
 艇のスピードはどんどん落ちる。まだトップ艇の[SummerBoy]付近には風が残っているようだ。
 そして無風。トップの[SummerBoy]はどんどん先行してしまい、ほとんど見えなくなった。2番目の[朝鳥]は、目の前で止まっている。

 クルーに焦りが見え始めた頃、船の周りに鮫の群れが登場。

 「おっ! サメだ!」
 「えっ? どこどこ?」
 「こらっ! 船を揺らすなっ!」
 この微風下で、サメを見て喜んでいる場合ではない。
 「おっ! イルカだっ!」
 今度はイルカが登場。バンドウイルカの群れだ。
 小型のスナメリしか居ない三河湾では、バンドウイルカを見る機会はない。
外洋経験の少ない若手クルーには、バンドウイルカは初めてだ。
 「で・でかい! あれはクジラじゃないのか?」
 「バンドウイルカはあんなものだ。」
 「いいから、船を揺らすなっ!!」
 本来であれば走りに集中しなければならない状況であるが、サメやイルカには敵わない。ここでとどめの一撃が登場。
 「おっ!!! マンボウだあ!!!」
 「わぁぁ!! 本当だあ!!」
 もう、「船を揺らすな。」どころではない。全員が上側に行ってマンボウに夢中。

 しかし腹が減った。朝から何も食べていないし、この炎天下で体力の消耗も激しい。
 午後、15:00過ぎ。無線でレース運営委員会の連絡を傍受した。

  「トップ艇[SummerBoy]がただいまフィニッシュ。タイムは〜」
 これはまずい。トップ艇はこの凪につかまらずに、順調に走り抜けたようだ。パソコンでハンディキャップを計算。
  「あと2時間以内にフィニッシュできなければ[SummerBoy]に負けるぞ!」
 しかし風は吹いて来ない。フィニッシュの初島は、まだまだ遠い。

 2番目を走る[朝鳥]と、3番目の俺たちが凪につかまって四苦八苦している頃。後の水平線から後続の小型艇が次々と現れた。

  「まずい! あの連中を振り切らなければ、どんどん順位が下がってしまう。」
 しかし風は後から来る。結局フィニッシュしたのは、陽も暮れた午後の19時半。もう俺達の頭にあるのは順位やレースの状況ではない。とにかく腹が減った。
 船を桟橋に舫うや否や、陸番担当が桟橋に用意した食料に貪り付く。
 「ああ、食った食った。もう満足だあ。」
 35時間に及ぶ空腹との戦いは終わった。腹が減っては戦ができぬ。レースに勝つためには、まず腹いっぱい食べることだ。
 
 

 

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