熱帯の憂鬱(4)
by チャーリー岸田


part-4

フィリピンを知るためには「ハテハテ」の思想を理解しなければならない。
「ハテハテ」とは、日本語で言えば「皆で均等に分け合う。」と言う意味になる。
しばしばフィリピン人は、娘が日本で苦労して稼いで来たお金を、仕送りをもらったとたんに隣近所親類縁者に気前良く大盤振舞いしてしまうことがある。
日本人から見れば、「それでは娘が可哀想ではないか。」と思うのだが、彼らはそう思わない。
娘たちも、そんな事を百も承知で仕送りしているのだ。
それが「ハテハテ」だ。

彼らは気前も良いが遠慮もしない。
先ほどから彼らが遠慮なくばんばん飲んでいるのは、俺たちが買って来たビールだ。俺たちの貴重な飲料水だ。
現地の連中は平気で井戸水を飲んでいるが、日本人がそんなものを飲んだら一発で下痢になる。
そこで、リンダの実家に行く前に、街で大量のミネラルウォーターを買って行く必要があったのだが、この国ではミネラルウォータもビールも、あまり値段が変わらない。
当然、俺たちの飲料水は全てビールとなった。
しかし、その貴重なビールを現地の連中はどんどん遠慮せずに飲んでしまうではないか。
また街に買出しに行かなくてはならない。
値段は安いが、炎天下の中をトライシクル(サイドカー付きオートバイのタクシー。もちろん冷房はない)とジープニー(ジープを改造したバス。これにも冷房はない)を乗り継いで出かけて行くのは一仕事だ。

「ビールは沢山あるのだから、遠慮することはない。」
これがフィリピン人の発想だ。 おそらくこの国の人々は、大昔から、
「俺のものは皆んなのもの。皆んなのものは俺のもの。」
と考えて生きて来たのだろう。 これを、
「こいつら、日本人が金持ちだと思って金を使わせやがって。」と思うか、
それとも、これが『ハテハテ』だと理解するか。それはその人の考え方次第だろう。

日曜の朝、俺たちはこのファミリーと一緒に教会に行くことになった。

「いや、俺たちはクリスチャンじゃないんだ。」
「それは良くない。たしかに日本人は優秀な民族だが、だからと言って神様を蔑ろにしちゃいかん。」
このジャングル奥地の人々は、世の中には色々な宗教があることなど考えたこともないのだろう。我々はクリスチャンではないが、決して傲慢なわけでもない。
しかし、ここでそれを説明するのは困難だ。
我々はリンダの一家と共に家を出た。

途中で吊り橋を渡る。人がすれ違うのも困難な細い橋だ。

「わあ! 魚が居そう!」
「あっ、本当だ!」
川を眺めて姉妹は口々に言った。
「どうして解るんだ?」
「川の色で解るよ。」
川は濁った泥の色だ。
「昔はこの橋無かったよ。だから私たち、毎日この川泳いで学校に通ってたよ。帰りに魚捕まえて帰ったよ。」
我々から見れば、『泳いで通学』なんて話を聞くと、『貧困』とか『苦学』と言った言葉を思い浮かべてしまう。 しかし彼女たちにとっては、それが子供の頃の楽しい思い出の一つなのだ。何事もこちら側だけの価値観で判断してはいけない。

教会は人で溢れ返っていた。 タガログ語による神父の説教が続き、それが終ると参加者全員が両隣の人と手をつないで賛美歌の斉唱。
教会は熱気の中にあった。言葉の解らない我々もその中に居た。
賛美歌が終ると、人々は感極まった表情で周りの人々と握手をし、または抱き合って、永遠に変わらぬ友情を誓い合っている。
その中には、非合法な手段で収入を得ている無頼の連中も含まれている。
彼らは毎週本気で神に祈り、本心から村の人々との友情を誓い、そして翌日からまた悪事を始めるわけだ。

きっとフィリピン人は永遠にこのようにして生きて行くのだろう。
怠け者ばかりのこの国は、おそらく永遠に先進国の仲間入りをすることはないだろう。
しかしそれでも良いではないか。豊かな土地があれば食うには困らない。
あくせく働いて疲れるよりも、豊穣な熱帯の気候の中で楽しく生きられれば、それはそれで充実した人生だ。

終わり

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