雪の夜

by チャーリー岸田

1998年1月8日、関東地方は珍しく大雪だった。

「こりゃまずいな。電車が止まらないうちに帰らなきゃ。」
岸田はいつもより早く会社を出たのだが、横浜線はすでに止まっていた。復旧の見込みは立っていないと言う。
しかし横浜市営地下鉄と東横線は動いているので、逆方向になるが、新横浜から一旦地下鉄で横浜に戻り、そこから東横線に乗れば良いわけだ。
地下鉄で横浜に出ると、その時点で東横線も止まってしまったと言う。おまけに京浜東北線、東海道線など軒並み電車が止まっている。ハマッた。

横浜の各ホームは大混雑。大勢の乗客は吹雪の中で来ない電車を待っている。改札口の外から階段から、全ての構内が身動きとれないほどに混んでいた。
馬鹿なやつらだ。電車が止まっているのにホームに立っていて何になるのだろう。ここは長期戦になりそうだから、まずは腹拵えだ。岸田は近くのレストランに入り、メシを食って酒を飲んで店の閉店時刻まで寛いでいた。
こういうときは先にメシを食っておくんだ。腹が減ってからではもう店も閉まっている。

以前新幹線の中に閉じ込められたときも、電車が止まった直後に売店に行き食料を買い込んだ。そして数時間後、腹を減らした乗客達が売店に向う頃、食料は既に売切れになっていたのだ。馬鹿め。そして夜遅く、腹を減らせた乗客達が羨ましそうに注目する中、岸田が弁当にビールたこ焼きを食い続けた。
日本人はこう言った場合の危機管理が苦手なのだろう。

22時に店を出ると、丁度東横線が復旧したところだと言う。わはははは。岸田は、ずっとホームで待っていたハラペコで凍え顔の乗客と一緒に電車に乗込んだ。
武蔵小杉から先、南武線は止まっているそうだが、まあこれは乗換え駅に着いてから考えればいいだろう。

武蔵小杉に着くと岸田はそのままバス乗り場に直行した。馬鹿な客は駅員に食って掛かっていたが、そんなことをしても何の得にもならない。
運良く途中の溝ノ口行きのバスが到着。バス乗り場は人が多く大混雑していたが、多くの人々は係員に『このバスはどこまで行くんだ?』なんて聞いたり、右往左往するばかりで、簡単にバスに乗込むことができた。おまけに座れた。
こういったときは、少しでも目的地に近づけばいいんだ。

溝ノ口に到着すると、今までに見たことの無いほどの人込みだった。時刻は0時。首都圏の殆どの電車が止まっている中で、新玉川線だけが動いているので、小田急線などで東京から神奈川県郊外に帰る客が全て新玉川線に流れて来たのだ。
しかし、ここから先は全ての交通機関が止まっている。新玉川線の電車が到着する度に多くの乗客が掃出され、それがどこにも行けないので、溝ノ口駅周辺の人口はどんどん膨張し続けた。
バス乗り場には1000人近い行列が出来、ビルをぐるりと取巻いていたが、もう4時間もバスが来ていないと言う。

吹雪の屋外で何時間も立っているのは辛い。とりあえず雨露しのげる場所を探そう。
JR駅事務所前で、ブルーカラー風のオッサンが駅員に怒鳴っていた。

「てやんでい! てめえらだけ暖かい所に居やがって! 何考えてるんだ?俺達も中に入れろ!」
もっともな理屈だ。しぶしぶ駅員は駅舎のドアを開けた。岸田はすかさず中に入り、エアコン前の場所を確保した。
「おい、ヒロシじゃないか? おまえもハマッたのか。」
いきなり声を掛けて来たのは岸田の父親だった。岸田の父親は岸田から一人置いた隣の場所を確保していた。
現在この駅には数千人の乗客が居るだろう。そこで全く違う方向から来た父親と遭遇するなんてことは凄い偶然だが、親子で行動パターンが似ているのかも知れない。
岸田 「ところで晩飯はどうした?」
父親 「もう2回食った。」
岸田 「そんなに食っちゃだめだよ。太れば心臓の負担が増えるんだから。」
父親 「だって他にやること無いだろう?」
しかしこれは困ったことになった。ここから自宅の駅までは5駅の距離。岸田一人ならば歩いて帰ることもできるが、この大雪に中で70歳近い親父を歩かせるわけには行かない。もっと困ったことに、この親父は放っておけば雪の中を歩き始めてしまうだろう。それは止めなければならない。父には心臓病の持病があるが、いつも発作を起こすまで身体に気を付けることをしないのだ。

駅舎の中の乗客が退屈し始めた頃、この部屋に乗客を入れるように駅員を怒鳴っていたブルーカラーのオッサンを、その奥さんが車で迎えに来た。

「あんた、こんなとこに居たのかい。車で来たから帰るよ。」
「てやんでぇい! ベラボーめぇ! ここに居る皆さんが辛い思いをしているってぇのに、俺だけけえる(帰る)わけに行くかっ! 俺は残るから、おめえは一人でけえれっ!」
まったく江戸っ子ってやつは不合理なところが問題だ。このオッサンが残ったからと言って、何かメリットがあるわけじゃ無い。
まあしかし、こんな変化が無ければ岸田の父親は退屈して外に出てしまうかもしれない。

駅舎内は床は雪でびしょびしょ。座れもせずこのまま朝まで立っているのか?
とりあえず駅員の座っている椅子を奪い親父を座らせたが、その先の展開が見えて来ない。
駅員によると電車の復旧の見込みは無く、バスによる振替え輸送も手配できないそうだ。ここで終りなのか?

そのとおりだった。そのまま一晩中電車は来なかった。
朝の4時、駅舎の外に出てみると、外に居た乗客は皆消えていた。歩いて帰ったのだろう。雪はまだ激しく降り続いていた。
大通りに出てみるたが人の気配が無い。しばらく立っていると一台のタクシーが通りかかった。すかさずそのタクシーを捕まえ、ビルの陰の目立たない所に待たせ、親父を迎えに行った。

岸田 「タクシーで帰るぞ。」
父親 「いやいや、こんな寒いのにタクシーなんざ待ちたかねえ。」
岸田 「そうじゃなくて、外に待たせてあるんだよ。」


それを聞いた駅舎内の乗客数十名が駅舎を走り出て外へと向った。やばい!
岸田は親父の腕をつかみ、他の乗客をかき分けタクシーへと走った。そして親父をタクシーに押込み、殺到する他の客を蹴散らし、とりあえず残った空席には弱っていた中年のオバチャン2名を乗せてやり、車を発進させた。
後にとり残された連中はそれからどうしたのだろう?

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