ピマーイ探険記(3)

by チャーリー岸田

バンコク探検

 バンコク2日目、我々は後発部隊の宮地隊員を待つ間、バンコク市内を探検することにした。メンバーは柴木隊長、K先輩、岸田、そして駐在員太田。

 まず最初に行った所は観光地として有名な「エメラルド寺院」(添付の写真)。ここは外国人にとっては単なる観光地だが、現地の人々にとっては神聖な祈りの場所である。そのため短パンでの入場は許されない。我々は入口前の更衣室で長ズボンに着替えて入口を通った。

エメラルド寺院

 拝観料はタイ人と外国人とで差がある。外国人の方が高いのだ。ここは一般のタイ人にとっては御参りの場所なので高額な拝観料を取る訳には行かないのだ。

 ここで柴ヤンは、我々と同じ外国人料金を払って外国人用ゲートから入場した。

岸田  「柴ヤン、どうしたんですか? 今回はタイ人用ゲートから入らないんですか?」
 2年前に訪れたときには、柴ヤンは平然と料金の安いタイ人用ゲートから入場していたのだ。

 その後、タイ語にも磨きが掛かり外見もタイ人化して来た柴ヤンが、なぜわざわざ外国人用のゲートを使うのか、岸田には理解できなかった。

柴ヤン 「実はなあ、俺は日本人なんだ!」
 当たり障りのない回答をしながらも、柴ヤンの目は何かを訴えていた。

 この寺院は、かつて王宮として使われていた場所である。その壮麗な建造物には誰でも目を奪われるが、特にK先輩の目の色が変わっていた。
彼にこのような趣味があるとは今まで気付かなかった。

K先輩 「俺さあ、こう言うの好きなんだよな。堪らねええよ。」
 彼は恍惚とした表情で荘厳な寺院に見入っていた。

 と、そのとき、急に空が暗くなり雷が鳴った。これが熱帯の雨季である。日本の梅雨のように一日中雨が降り続くことはなく、強い日差の時間が大部分を占めるが、1日に何回かの強烈なスコールがやって来るのだ。雨の降っている時間は短いが、バンコクの9月の降雨量は、東京の6月の倍以上である。そのためこの雷雨の中では傘など役に立たず、雨が降ったらズブ濡れになるしかない。もうボツボツと大粒の雨が降り始めている。

 我々は走って寺院を出て外のタクシーに飛び乗った。その直後、豪雨が町を襲った。車のワイパーも効かないほどの強い雨だ。危機一髪で我々はズブ濡れにならずに済んだ。

岸田 「これからどうしましょうか? この雨じゃどこにも行けませんよ。」
柴ヤン 「それじゃあ、飯食ってから垢擦りに行こうか。」
岸田 「えっ? タイにも垢擦りが在るんですか?」
 柴ヤンの家にはシャワーしかないため、風呂好きな日本人にはどうも物足りない。時々バンコクに出た際に、垢擦りに寄って身体の垢を落としたくなるようだ。

 バンコクの垢擦りは韓国式の垢擦りと同様のものであった。最近は日本でもスポーツクラブやスーパー銭湯などで体験することができる。岸田は東京駅構内にある『東京クーア』の垢擦りをよく活用するのだ。

 しかしバンコクの垢擦りは、日本のものとは少々違った。

■その1:おねえさんが若い

日本の垢擦りは、おばさんが主流だが(XAX長崎は若いおねえさんだけど)、バンコクの垢擦りは若くて綺麗なおねえさんがやってくれる。

■その2:お客が全裸になる

 通常の日本の垢擦りは、風紀上の理由からお客が専用のパンツを穿くことが多いが(XAX長崎の場合はタオルで前を隠すだけだけど)、バンコクの場合は客は全くの全裸にならなければならない。

 つまり、とっても恥ずかしいのだが、こう言う場所で邪念を抱いてはいけない。

「はい、うつ伏せになって下さい。」
 垢擦りのおねえさんはタイ語で言っているのだが、言葉は判らなくても何となく理解できる。彼女は時間を掛けて丁寧に垢を擦った。
「それでは今度は、仰向けになってなって下さい。」
 これも大体理解できる。

 しかし岸田が仰向けになった途端、垢擦りのおねえさんはタイ語で何かワーワー言い始めた。何かを訴えようとしているらしいのだが、言葉の判らない岸田にはチンプンカンプンだ。

 そのとき、隣の部屋から柴ヤンの声が聞こえた。

柴ヤン 「わはははははは! 岸ちゃん、元気やなあ!」
岸田 「柴ヤン! このおねえさんは何言ってるんですかあ!」
 岸田は壁の向こうの柴ヤンに向って叫んだ。

 柴ヤンの説明では、このとき岸田を担当していたおねえさんは、『こんな所で起ってはいけない』と、岸田に抗議していたようなのだ。

 そう言われてもなあ・・・・・・世の中には自分の意思だけではどうにもならない事があるんだ。
 K先輩と太田君の状況については、部屋が離れていたので確認していない。しかし岸田と同様の状況であったであろう事は想像できる。

 垢擦りの店を出て昼飯を食べたところで、そろそろ宮地隊員が空港に着く頃である。我々はバンコク市内に未練を残しながらもタクシーで空港に向った。

 そして空港で宮地隊員と落ち合い、そのままチャーターしたワゴン車で約250km先のコラートへと向った。もう都会の喧騒とはおさらばである。

 タイ東北部のコラートに向ったのは、柴木、K先輩、岸田、宮地の探検隊4人。バンコク駐在員太田は翌日の仕事のためにバンコクに残った。

K先輩 「宮ちゃん、飯は?」
宮地 「飛行機の中で食ったばかりだから、今はお腹空いてない。」
K先輩 「そうか、それじゃあこのまままっすぐ行こうか。」
 K先輩は寂しそうだった。出発前にもう一度何かを食べて行きたいようであった。

 しかしこの日、既に我々は4回も飯を食べていたのだ。それも毎回2人前以上。いくらタイの飯が美味いと言っても、これはやり過ぎである。

 そしてデコボコ道を車は走り続けた。この先に我々探検隊の拠点であるコラートが待っているのだ。

つづく

Seaside Cafeのトップへ戻る
HOME